行事の日に食べるそばと言えば、真っ先に「年越しそば」を浮かべる人も多いのではないでしょうか。
でも、実は他にもそばを食べる行事があるんです。
それが2月3日の節分の日、立春の前日です。
節分そばを食べる地域は?由来は?
について調べてみました(*´▽`*)
《結論》
節分そばが今でも食べられている地域は
- 島根県
- 長野県
節分そばの由来は諸説あり
- そばの形状から「細く長く生きたい」
- そばが強い植物と言われているので「逆境でも強くありたい」
- 「うどんより噛みやすい」という特徴から「災厄を断ち切る」
ということでしたよ。
詳しく紹介していきます。
節分そばとは?
節分と言えば、恵方巻や豆まきのイメージですよね。
ですが現在、私達が食べている「年越しそば」は、江戸時代後期までは節分の日に食べられていました。
2月3日、節分の日に食べるそばを「節分そば」と言いますが、元々はこの「節分そば」が「年越しそば」でした。
節分が年越しだった?
どういうことかと言うと、昔と今では「年越し」の時期が違っていたのです。
昔は「節分の日(立春の前日)」が今でいう「年越し」とされていて、
豆をまいたり福を祈願する風習も、昔は「年越し」のものだったのです。
その為、節分の日に食べるそばも「節分そば」ではなく、歴史的な史料では「年越しそば」とされています。
しかし、年越しの行事がいつから行われていたのかは定かではありません。
年越しそばと節分そば
日本の歴史の中で「年越しそば」と「節分そば」の二つが区別されるようになったのは、
旧暦が変わり「1月1日」を年始と定めた時、
12月31日が大晦日になった頃からと言われています。
節分そばの由来
「節分そば」の由来には諸説ありますが、
そばの形状から「細く長く生きたい」という願いを込めて食すと言われています。
また、そばは天候不良や痩せた土地でも育つことから、強い植物と言われていて
「逆境でも強くありたい」という思いも込めてとも伝えられています。
更に「うどんより噛みやすい」という特徴から「災厄を断ち切る」という説もあるようです。
また、縁起を担ぐ説としては
「富豪商人が貧しい人々にそばの団子を分け与えたら、翌年以降に運気が良くなった」
というものから「金銀細工の職人がそば粉で金銀の粉を集めるから」
というものまで、多く伝えられています。
節分そばを食べる地域
「節分そば」は由来からも分かる通り、主に江戸時代の商家にあった習慣でした。
当時は節分に「年越しそば」として食していたのだそうです。
元々は地方問わず日本全国にあった習慣ですが、
暦の変化や食文化の発達によって、次第に遠ざかっていったということです。
そんな「節分そば」は、今は『島根県』と『長野県』で食されています。
どちらも、そばの産地として有名な地域ですね。
島根県は出雲の地方、長野県は信州の地方と、
それぞれ古くからそばを生産している町で、今でも風習を守り続けているそうです。
さいごに
昔の年越しは節分の時期だったのですね(*´▽`*)
節分といえば、豆まきや恵方巻というイメージでしたが
次からは、縁起を担ぐためにも節分そばを食べてみようかなと思いました♪